山の在りか
同じ安曇野市でも南に位置する三郷(みさと)地区(旧三郷村)から北を見た風景です。
早くから雪を頂いた白馬の山々が遠くに見えます。その奥の山稜が落ちる所が糸魚川、日本海です。
(拡大図 稜線の先が日本海につながっている)
ここから日本海に接する山まで見通せるのです。安曇野が南北に奥行きがあることに改めて驚きます。
三郷から見ると常念岳や有明山などはやや貧弱に見えて存在感がありません。
下の写真は三郷から少し北上した安曇野市堀金(ほりがね)地区(旧堀金村)、アルプスあづみの公園入り口から見た常念岳です。
今度は威風堂々としています。ここから有明山を探すと、下の写真の様に前山の山体に隠されてひょっこり顔を出す程度。
さらに真後ろを向くと遠く東の山並みに美ヶ原高原の王ヶ頭が見えました。
(中央が王ヶ頭 複数の電波塔が見える)
この安曇野から美ヶ原はどこからでも同じ様に見えます。遠くにあるせいだと思います。
対して、近くの西山(アルプス)は少し移動しただけで見え方が大きく変わってしまいます。
つまり、わが有明山は三郷や堀金から見える有明山と同じであって同じではない。同じ山であるがそれぞれ違う意味を持つ。
山はそれが一番カッコ良く見える所のもので良い。常念岳はやっぱり穂高より堀金の山であり、豊科の山なのです。そして有明山は断然、穂高の山であることに異議はないはずです。
南北に長い安曇平で遠く日本海まで見通せる山の階調があり、それらが見下ろす村々に、シンボリックに影響を与えてきたことは容易に想像できます。
この国では山は神様になり得たからです。実は今でもと有明山を見上げて思います。 (お)