焚き火
都会では考えられない光景ですね。
ものすごい熱量を感じます。3m以内には近づけません。
顔がつっぱり、まつ毛や眉毛が熱で反り返ってくるのを感じます。そして息が出来ない。
熱せられた空気を吸い込むことを身体が反射的に拒絶するのですね。音も匂いも全ての感覚器で自然の猛威を感じ取るとともに、生き物の弱さを実感します。圧倒されて、なす術もなく立ちつくす。
ですが、本当は恐怖に魅入ってその場から離れられないとするのが的を射た言い方かもしれません。
勢いよく燃える炎火はこちらに考えさせる余裕を与えず、しかし、心中は同調するかのように炎の中に吸い込まれて行きます。
人間が初めて手にした自然の力、火と共に進化してきたことは事実でしょう。人類の記憶が火をもってそれぞれに何かを想わせるのは解るような気がします。
この炎が下火になって熾火になるのに一時間かかりませんでした。松くい被害木の枝の焼却で軽トラック山盛りの量にもかかわらずです。
燃焼の早さは逆に言えば、燃えるものがなければ短時間で消えるということを示しています。炎が立つのは早いが薪が少なければあっという間に収まるでしょう。
最近はどのキャンプ場でもキャンプファイヤーなんてしないでしょう?
ファイヤー点火で一斉に盛り上がり、熾になってからゆっくり、しんみりした時間が流れる。見直されるべき素敵なイベントだと思います。(フォークダンスはよかったなぁ)
ここ学者村では焚き火を推奨しているわけではありません。けれども火を挟んで語らう時間は老いも若きもあるべきだと思います。
個人的にはいずれ、焚き火の会などつくって定期的に火を囲んでみたいと思っていますが。
もちろん、消えない炎は心の内だけにして、火事にならない対策は万全にしてですが。 (おぎの)