鎧塚学者村
穂高町学者村6ヶ所村の中で一番小さな村がこの鎧塚学者村です。
忍ケ丘の南、猪鹿の牧との間の山麓に位置しています。もう少し詳しくいえば富士尾山の南に伸びた長い尾の先の方、その山際に寄り添う静かな地区です。栗尾山満願寺に近く所々にその古い道標石塔があるため、後に開発された所でなく、昔から人の往来のある場所だったのでしょう。道幅の狭さや、曲がりくねった道のつけ方でなんとなくわかります。標高は約700メートル。安曇野市街地を見渡すことができます。
(樹上から東山を望む)
安曇野で「塚」のつく地名は「八面大王伝説」にちなむ場合があります。
その昔、八面大王という鬼が坂上田村麻呂に成敗された、とする昔話の類いです。八世紀頃の伝承ですから諸説ありますが、
⑴ 大王は盗賊団の首領で人々を苦しめ鬼として恐れられていた。
⑵ 大王はこの土地の豪族で大和朝廷の侵略に抵抗した英雄だった。
何れにしても時の官軍に滅ぼされたことでは一致しているようです。
魔力を持った大王が生き返らないように屍はバラバラにして埋葬し、首は松本市の筑摩、胴体は大王わさび農場の一画、もっともらしいのは穂高有明の地区名「耳塚」で、大王の耳を埋めたとされています。そしてこの「鎧(よろい)塚」。大王の鎧を埋めたということでしょうか。
仮に大規模な殺戮があったとしても、おどろおどろしさは感じられません。
それは人々の生活圏内にあり続けたことで、素朴な信仰心がこの地を浄化したからでしょう。
自然豊かな中にあってなおかつ、他の別荘地にはない 懐かしさが堆積している場所となり得たのです。
高台から望む風景に歴史をも俯瞰する。そんな憧憬となって映える 「鎧塚学者村」です。 (お)
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