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2019年11月14日 (木)

徳本越え

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(島々宿)

 

10月の下旬、今はあまり人の通らなくなった上高地への旧道。島々谷から徳本峠を一人で越えてみました。

元へ、この道は旧道などではなく、通る人の数が減っただけで本道であることに変わりはないと思っています。バスを使って上高地に入るのは今の時代では当たり前のこと。でも、昔の人がそうだったように私も自分の脚で歩いてみたいと素直に思えたのです。

 

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元へ、突然徳本越えが浮かんだのではありません。「北杜夫」を読む機会があって、彼の山に対するとりわけ「穂高(岳)」に対する畏怖と敬愛に触発されたのでした。北杜夫も北アルプスに憧れて旧制松本高校を選んだ一人、山岳部には所属しませんでしたが彼なりに山に対する厳格な思いはあったようです。彼が居た頃すでに上高地へのバス通りは開通していたものの松高生は頑然この徳本を越えて行ったのだと書いています。松高で青春を謳歌した反面、繊細なる追憶に悩み続け、意を決して穂高の山に答えを見出そうと徳本を越えています。私もまた、人生の岐路に立たされているようで覚悟を決められるのか、穂高の山々は新境地をもたらしてくれるのか、期待するところがありました。

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(道は整備してあって歩き易い)

 

交通機関利用は電車のみ、自家用車はもちろん、タクシーや路線バスも使わない!とあらかじめ決めていました。徳本から上高地に入り横尾から蝶ヶ岳、常念、最後は自宅に一番近い燕から下山、帰宅という4泊日の行程を画策していました。何故、涸沢ではなく蝶ヶ岳なのか。それは夏に落とした財布を拾って届けてくれた「蝶ヶ岳ヒュッテ」へのお礼がしたかったためなのです。それが今回の山行の第二の目的でした。しかし、予定初日の雨で延期、まずそれで4泊は無くなりました。蝶ケ岳にはたどり着きましたが、その後の体力的不安は解消できず、常念岳を越える自信が萎え、あえなく下山の運びとなりました。ただ、どうせ下るならと、三股には降りず、大滝山から鍋冠山を通って一日市場の駅まで歩き、自宅から自宅まで総延長約112km。2泊日の60時間。その内、歩いた距離は65kmとなりました。この記録がどうなのかはわかりません。ただ大変くたくたにはなったものの、ささやかな達成感を得ることができました。

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約30年間ろくに使わなかった某スポーツ店オリジナルのザックを引退させるいい機会にもなりました。ずっと押し入れに入っていたのに所々色褪せていて、背中に当たるパッドのスポンジは劣化し、溶けてクチャクチャになっていました。持っているんだからきっと買ったんだろうがその記憶がないのです。仕事を与えられず、代わりにずっと暇を与えられてきた不憫な50ℓのザックに寝袋、天幕、雨具、と次々詰め込んで重さは15kgとなり、こんなものだろうと歩くうち、重さを背負い慣れないせいが第一なのですが、肩に食い込むその重さに焦り出し、“なんせ30年前の代物だからな!”と次第にザックのせいにするあり様です。しかし途中でちぎれることも、ほころびることもなく。無事任務完了。ありがとう、お疲れ様でした。

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(徳本峠からの眺め)

 

それにしても徳本峠は私には遠かった。上高地線新島々駅を7時にスタートして峠に着いたのは16時頃ですから。汗がとめどなく流れ、そのせいか大腿四頭筋、膝上あたりの筋肉が途中から痙攣し始めてしまいました。それでもだましだまし登り、まるで我慢くらべです。島々の登山口の貼り紙で1021日に徳本小屋がすでに閉まっていることを知っていましたので、最後のつづら折りの急登前で水を汲んで背負いあげる時は泣きたくなりました。

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(冬じまいの最中の徳本小屋)

 

穂高の山々が突然目の前に現れる。それが徳本峠だと聞いていましたが、肝心の連峰は雲の中に隠れてしまって遅い到着を嘲られ意地悪されているかのようです。期待した感慨もなく、しかたなく冷え込みの急な峠で震えながら幕営します。

すぐさまテントにもぐり込んでコーヒーを沸かし脚を伸ばす。すると今度は大腿二頭筋がつりはじめてしまいました。外へ出ようと脚を曲げると太ももの裏側がキュウ〜と痙攣します。出るに出れず、動くに動けず、脚を伸ばしたままテント内で持ち物を整理し、夕食を調理し、早々に寝袋に潜りました。そして一度入ったテントから出ることは朝までなかったのでした。

 

夜が更けるにつれ外はものすごい風の音がしています。その割にはテントは揺れません。不思議でした。いったい風はどこで鳴っているのだろう。テントのファスナーを開け首だけ外にだしてみます。夕方まで曇っていた空がすっかり晴れて星が見えています。

 

体は疲れているはずなのに全く眠れません。

面倒くさいのと脚の痙攣を恐れて外に出る気が起こりません。山小屋が閉まってしまいトイレが使えない。そんな時、みんなはどうしているんだろう?私の他にテントは6〜7張りありましたがゴソゴソと出歩いている様子はありません。大きい方はもちろんだがオシッコも携帯トイレで固めて持ち帰るのだろうか?そんなことをすれば荷物は減らないどころかどんどん増える一方だ。

 

本来なら体外に排出して捨てるものを捨てないのだから、汗となって蒸発する分以外は軽くならない。喉が乾けば水は補給するのだから、汗より尿のほうが多いのならザックはどんどん重くなる。食べ物の場合はどうだ、消化吸収された栄養は運動などのエネルギーに変わり消費される。供給より消費が勝れば腹回りにだぶついた脂肪は落ちる。山行を続ければザックは重くなるが体重は軽くなる。ザックを背負った総重量は変わらないがその配分はいつかは逆転する!かもしれない・・・などとB級なパラドクスもどきで遊んでいるうちに夜が明けてしまいました。

 

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(明神から見た明神岳)

 

「北杜夫」に習いベーコンとウイスキー持参していました。ベーコンはさらに塩漬けしてかなり塩っぱくしてあります。日持ちをあげるのと、脚がつった場合の塩分補給にと考えたからです。おかげさまで、朝には脚の痙攣はすっかり治っていました。今日もなんとか行けそうです。寝なくたって体は回復するものだな。自分の体力にやや感心しました。

峠を下ってほぼコースタイム通りに明神、徳沢、そして横尾にたどり着きました。

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(蝶ヶ岳から穂高を望む)

 

今回は頂を目指す山行ではないことを明確に意識していました。

街道を行くように長い道のりを歩き通すことができるかどうかが肝心でした。

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(帰路、自宅の鈴玲ヶ丘から見た鍋冠山)

 

この挑戦は最初の計画の行程を達成できなかった点で失敗でした。しかし、全く懲りずに再び

行く気持ちが失われない、どころかさらに過酷な道程を望むようになった、という点では成功したと言っていいでしょう。覚悟は決まりつつあります。

 

自宅から出発して目的地は自宅。自身に回帰する旅だとも考えます。 (お)

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