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2019年11月27日 (水)

美術館 終い

鈴玲ヶ丘に11月いっぱいで閉館する美術館があります。

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ロダンや浜田知明、マン・レイの作品も所蔵していることは以前から知っていました。まさに灯台下暗しで、いつでも行けるとの思いと、何か敷居が高そうで敬遠してきた経緯があります。

もう見られなくなってしまうなら最後にと重い腰を上げて出かけました。

そう、その一心だったのです。しかし、案内された展示室にはなにやら大型カメラでアオリを効かせて撮ったモノクロ建築写真が並ぶばかり。お目当てのロダンが見当たりません。聞けば展示室の広さの問題で企画展と常設展示を同時には行えないとのこと。

なんともならないのが残念でしたが企画展も知らずに最後にふらっとやって来て核心部分を流し見しようなんて虫のいい話なのかもしれません。

「美術品は、個人の所有にとどまったまま埋没されるべきではない。千数百年を、民衆の手にふれいつくしまれ、破損なく存在してきたものである。美しいものを手にする幸せは共有したい。」(美術館のHPやパンフレットの紹介文より抜粋)

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仮に本物の収蔵作品を目の当たりにしても“美しいものを手にする幸せ”を共有できたかはわかりません。感慨は人それぞれですから。

ただ一点、喫茶室奥のストーブの上に置いてあった木片のオブジェ(像)には目を奪われました。「それ」から発する得も言われぬ存在感に同調するように。それを作った者がいるのか、あるいは見つけた者か、それをそこに置いた者とは別人なのか。なんにせよそれらの者たちと美の共有はできたのではないかと思います。

鑑賞とは発見することである。

誰が作ったか?何を表現しているか?そんな説明は本来芸術には余計なことなのです。

じっと見つめ、湧き上がる感情を逃さず捉えることができれば・・・だからこそ期限貸しギャラリーや展覧会でなく、時間をかけ純粋に作品と対峙できる場としての美術館は重要だと思うのです。通うことのできる小さな美術館です。

収蔵品の今後が気になるところですが楽観もしています。

汚い格好で物見遊山するひやかし客が多いことも事実です。それらの目から遠ざけるのは決して悪くない・・・まあ結果的にですけれど。(お)

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