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2019年7月 3日 (水)

学者とは

07031

「学者村」。文字通り住民は老若男女、皆学者であり、安曇野穂高の一画に村落を形成し、農学、工学、理学、経済、文学とあらゆる分野で情熱を持った学問の徒が日々新しい論文を作りあげ、それらを元に食料から日用品、家電、自動車に至るまで実際に村内で開発生産され、自給率は30%を超える。収益は均等に配分され村民に貧富の差はなく、均等に華美であるが必要以上に贅沢ではない。村自体が巨大な研究室であり実験フィールドである。村内では情報は共有され、分野を超えた理解と連携が新しい発想と技術を呼ぶ、その成果は常に世界に向けて発信されている。村には行政区に準ずる自治権が認められ、村民は独自に決められた義務を負っている・・・

 

現実離れした空想ですが。このような妄想を当てはめて遊べるのも「学者」という言葉が存在感を失い死語に近くなっているせいでしょう。

 

それゆえか、学者とは何ですか?と単純かつ深遠な問いかけが学者を夢見る学徒からこの空想学者村に発せられるのです。

「研究テーマは自分で決めるのですか?」 憂いを覚えた後、ハッとさせられました。問いかけているのではない。将来への違和感を敏感に嗅ぎとっているのだ。

 

 

幅広く知識、倫理観を身につけたものが「学者」であるべきだと学者でない私も思います。是非、研究テーマは好きなこと、やりたい事を自分で決めてほしいものです。

 

  • しかし、学問の先鋭化と細分化が「学者」ではなく「研究者」を増やしています。ブドウの房にぶら下がる小粒な果粒たち。

 

  • の中で名を挙げた研究者は研究資金獲得のため、やむなく奔走することになります。研究どころではないのが実情でしょう。

 

  • 政府から声がかかれば専門外であっても会議に出席する。例えば改元の会議のように。

 

  • しかしながら御用学者などと揶揄されたのも昔の事で、最近ではテレビに出た方が立派な学者となる。

 

  • 政治は必ず間違った方向に向かう。それを正すのがマスコミと学者の良識であったと記憶しています。

 

  • 教育は受け継がれるもの、清貧な学者から教わった世代までが残念ながら最後の学者であるといえるかもしれません。

 

  • 哲学や教養学は学問の逸脱を正すためにある、なぜそれを切るのか?

 

  • ハイテクな工業製品ばかりが「ものづくり」ではない、需要が学問の優劣を決めるものであってはならない。

 

 

 

人を学者たらしめる「学問」という言葉も変質し、同様に「死語」になりつつあるようです。当然かもしれません。 (お)

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