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所用があって大町市役所からの帰り道、少し思うところがあって。
上の写真は大町市の信濃大町駅付近、国道147号線上です。標高は約710m。
ご覧のように路上には雪が積もっていて融けていません。
山沿いはさらに深く積もっていました。
このまま国道を南下してみました。
大町市常盤の辺りです。標高は680mくらいでしょうか。
やっと道路が見え始めます。
そして上の写真が安曇沓掛です。ここから急に状態が変わります。雪がゆるく融けてシャーベットになってきています。標高は645mくらいです。
大町市を抜けて松川村に入って板取地区に来ました。標高610m。
ここから安曇野市です。雪はすっかりなくなりました。標高は560mです。
一見なだらかな地続きの地理ですが信濃大町の駅からここまで標高差は約150m。当然といえる雪の残り方の違いですが降雪が増えればその違いはもっとはっきりします。それに、まるで線を引いたように降る雪の量が違うのは標高だけではない何か地勢的な要因があるようにも思います。
気象環境の違いはそのまま村町の境界として定着することもあるのでしょう。
大町と穂高の間にははっきりした境目があるのです。
(穂高神社)
雪深い大町の特性というより、雪の少ない穂高の特異性に注目して下さい。
秀でた環境から先に村落が形成され、いち早く境界が引かれたことでしょう。環境が人々の生活を支えるわけだから当たり前のことですよね。その境界は他者が簡単に越えられないことも然りです。
その昔、後から入植した大町仁科一族が、安曇族を滅ぼしてまで手に入れたかった穂高松川地区、その訳が分かるような気がします。(お)
(穂高神社)
昨年の12月から本格的な冬が始まり何回か雪が降る日もありました。そればかりではなく、朝夕は寒中を思わせるような最低気温が-7℃位まで下がる日もありました。気温が低くなる日は比較的に晴れの日がありますが昼間でもそれ程気温が上がりません。
そんな寒い中、例年の様に多くの白鳥が安曇野の犀川の白鳥湖に来ています。
冬の象徴の様な白鳥ですが、少しの環境の変化にも敏感に反応するであろう野生の生き物ですが、犀川の白鳥湖に毎年同じように見る事が出来るのは、あまり目に触れることのない保護をされている皆さんのご努力があってこそと思います。この時期にこちらへ訪れる皆さん、高速の安曇野インター近くにある白鳥湖に訪れてはいかがでしょうか。(や)
鈴玲ヶ丘です。
アカマツの樹上から撮りました。
今年は寒波の到来が例年になく早く、有明山も既に白くなっています。
こうして樹上より眺めると学者村はやはり森の中にあるようです。
森の中に住むというのは都会からみれば羨やましく思えることもあるでしょう。
それは逆に都会の作法が通じないことを示しています。森に住むなら気持ちを入れ替える必要があるかもしれません。
まずは森の意味を知ることが大事だと思います。それぞれの考える森であってかまわないのですが共通認識として、森の中に居ることを意識しなければなりません。
自然環境が常に自身の輪郭に接していることを生活の感覚とする。
人と人の間には森が存在している。
結局、禍いは人伝にやってくる。そのことがよくわかった一年だったと思います。
禍いからすり抜ける、実生活においても観念的にも森は緩衝となってくれるかもしれません。
来年はぜひ森の中の大晦日を、良い年越しになるでしょう。 (お)
事務所のデッキに三毛猫の姿を発見して、可愛らしいので逃げられないように何をするかというと、猫の唸り声を真似するのです。
「ウゥ〜〜ァ〜ウ〜ウェ〜ウ〜…」
猫にしてみれば姿の見えない相手にいきなりケンカをふっかけられているわけですから穏やかじゃないですよね、わけが分からないまま耳を動かし、キョロキョロします。
のっぴきならぬ事態、非常時のサイレンのように聞こえるのか人間の下手な声まねでも100%反応します。今まで無視されたことはありません。
そうして声のする室内をひょっこり探るミケ子。立ち上がってのぞき込んでいるのが可愛くて笑いました。
こっちも性懲りもなく唸り声を続けますが目が合ってもまさか人間が発しているとは思えないらしく、声の主を探します。急に不安に駆られるのかサッとの逃げ出すも遠くには行かず、再びのぞき込んで来ます。
最後にはこっちが飽きてしまって唸り声は止み、猫にとっての緊急事態は解消されるのですが、その後、三毛猫と仲良くなれるわけでもなく、猫にしてもなんの得もありません。
もちろん面白半分で遊んでいるのですが、一つのコミュニケーションだと思うところもあります。
動物愛護団体から怒られそうですが、唸っている間は猫と人間が緊張を持って繋がっているわけですから、直線的で純粋な関係にある。と言えるのではないでしょうか。
動物が人に慣れることはあっても人が動物に慣れることはありません。それは人間が常に「支配」する側に立っているからです。
擬人化して可愛がることはあっても逆に動物の気持ちなんて本当のところは分からない。
猫になる(なり下がる)ことができないなら我が家の「子」でなく友達でもない。
屁理屈でしょうか? ええ、実用性のない屁理屈でしょう。
そんなことを暴いたところで相変わらずだし、そして動物たちは年の変わり目なんか関係なく、たくましく生きているわけですから。 (お)
100年前のヨーロッパやアメリカの西部開拓時代に誕生した警備業及び警備業者が日本に初めて設立されたのは昭和37年の事でした。その後東京オリンピックや大阪万博の開催で日本における警備業は大いに発展しました。しかし、警備員その者の非行や不正行為も増え続け、例えば労働争議に導入された警備員が乱闘騒ぎを起こしたり、警察官を模した制服によるなりすまし犯罪や警備員による警備先からの窃盗事件などが多発しました。
見かねた政府は10年後の昭和47年ようやく法整備による規制をかけます。「警備業法」の公布施行です。しかし警備員による不正行為は無くならず、警備業に対する需要が高まる一方警備員に対する不満や苦情も増え続けます。政府は昭和57年、警備業法の大幅な改正を行いそれまでの届け出制から認定制度を導入し、ヤクザまがいの不適格業者の締め出しを強化し、「警備員指導教育責任者制度」を設け警備員の知識及び能力の向上を目指し、指導教育に当たらせました。
さらに平成14年と16年に改正を行い、警備員指導教育体制の強化、警備業務への依頼者の保護を課し「警備業務の実施の適正化を図る」という警備業法の目的から外れることのないよう広く努力義務を求めています。
さて、学者村の話になりますが、学者村は単に不動産を管理している管理業者ではなく、依頼者の財産を守る「警備業者」に当たります。そこのところはどうかお間違えなく。業務に関して法律的な根拠があるのです。ですから責任を持って巡回及び監視業務を行っています。問題発生時には逐一報告し、解決、改善に努めています。業務上必要な資格者(警備員指導教育責任者)も2名体制となりました。警備員(管理人)の教育及び指導にいっそう力を入れて参ります。
ご契約者に信頼される「学者村」として、かつ地域の安全を見守る「学者村」であることを願ってやみません。どうぞよろしくお願いいたします。 (お)
三菱鉛筆では「朱.藍鉛筆」。全く同じ仕様でトンボ鉛筆では「赤青鉛筆」という名前で販売されています。
主に文章校正のために作られた鉛筆とのことですが、その柔らかい書き心地から普段使いとして多用しています。例えば封書の宛名にはこれの藍で書いています。芯を丸くして紙面を滑らすと適度に抵抗がかかって安定した筆さばきになり、また、筆圧の強弱によって濃く、薄く、太く、細く自在になります。つまり、黒鉛鉛筆のBや2Bの書きやすさと同じですが黒鉛のように手を汚すことはありません。
バーミリオンとプルシアンブルー。日本名で朱と藍、古くから親しまれてきた伝統の色味も気に入っています。
先だって、とある資格試験の勉強にこの鉛筆を使ってみました。
講師曰く、
“試験問題は教本の中から出る。各自このテキストをしっかり読み込んでおくように”
とのこと。
朱の方でアンダーラインを引きながら読んでいきます。鉛筆を走らせ芯に吸い込ませるように文字をたどる。重要な部分は強く、時には丸や四角で囲む。さらに藍の方で区別してメリハリをつけて整理する。
それを何度も繰り返すことによって教本はどんどん汚れていきます。しかし、汚れた分だけ読んだ証となります。学習の成果はテストを行い、理解度をはかることにつきますが努力の視覚化はそこに向かう自信をつけさせることに有効だと思うのです。
蛍光ペンのマーキングではこの反復学習が希薄になるような気がします。
若い時の記憶力など取り返すことなどできない年齢になって、閃めきより修練で対抗するしかないのは身にしみて、抗うことの無意味さを感じています。
普段勉強などせず、本すらまともに読まない人間ですが今回は少しばかり真面目にやりました。結果、ほぼ知識ゼロからの資格試験は合格しました。
講習期間8日のスケジュール、前半は結構サボりましたが後に集中することができました。
自習する時間と環境があったことも大きいのですがなんといってもこの二色鉛筆のおかげだと思っています。
ますます手放せなくなりました。私の必須アイテムです。
何か先入観があって永く三菱製を使って来ましたがトンボ製のものも全く遜色ないことをお伝えします。
これからも末永くお付き合いのほどよろしくお願いします。 (お)
上の写真の手前の人物は主人公のように写っていますが連れではありません。知らない女性が不意にフレームインしてきたのです。これはこれでいい写真になりましたが。
研修で長野市に来ています。
せっかく市街地に宿泊しているので善光寺参りをしてきました。
知っていたのではありません。たまたま偶然イベントに出くわしたようなものです。
くじ運は全くないのですがこういう当たりはよくあります。
本堂の中までライトアップされていて普段は撮影禁止の本堂内もイルミネーションに限りOKなのです。写るのはイルミネーションだけではないのに。
煌びやかで賑やかですね、バブルの頃のディスコを連想させます。
ご本尊の如来様の了解は得たのでしょうか。
仁王門もご覧の通り。ムラサキです。
上が「あ」で、下が「ん」。
だったら下が「ム」で上が「キ」でもいいよね。
六地蔵も6人ともムラサキに染まっています。
善光寺イルミネーションは12月5日から13日まで。
表参道イルミネーションは来年3月13日まで。いずれも午後5時から8時まで。
時間を遡ってお昼ころ、表参道 後町あたりから善光寺を望むと、わずかに坂になっていて、意外とそんなところに感動したりするのです。
多少、無愛想でシニカルに書きましたが学者村は松本に親和性があり、長野善光寺はいわばライバル。
されどさすが善光寺の歴史文化の厚みは唸らせるものがありますね。感服いたしました。本当です。 (お)
同じ安曇野市でも南に位置する三郷(みさと)地区(旧三郷村)から北を見た風景です。
早くから雪を頂いた白馬の山々が遠くに見えます。その奥の山稜が落ちる所が糸魚川、日本海です。
(拡大図 稜線の先が日本海につながっている)
ここから日本海に接する山まで見通せるのです。安曇野が南北に奥行きがあることに改めて驚きます。
三郷から見ると常念岳や有明山などはやや貧弱に見えて存在感がありません。
下の写真は三郷から少し北上した安曇野市堀金(ほりがね)地区(旧堀金村)、アルプスあづみの公園入り口から見た常念岳です。
今度は威風堂々としています。ここから有明山を探すと、下の写真の様に前山の山体に隠されてひょっこり顔を出す程度。
さらに真後ろを向くと遠く東の山並みに美ヶ原高原の王ヶ頭が見えました。
(中央が王ヶ頭 複数の電波塔が見える)
この安曇野から美ヶ原はどこからでも同じ様に見えます。遠くにあるせいだと思います。
対して、近くの西山(アルプス)は少し移動しただけで見え方が大きく変わってしまいます。
つまり、わが有明山は三郷や堀金から見える有明山と同じであって同じではない。同じ山であるがそれぞれ違う意味を持つ。
山はそれが一番カッコ良く見える所のもので良い。常念岳はやっぱり穂高より堀金の山であり、豊科の山なのです。そして有明山は断然、穂高の山であることに異議はないはずです。
南北に長い安曇平で遠く日本海まで見通せる山の階調があり、それらが見下ろす村々に、シンボリックに影響を与えてきたことは容易に想像できます。
この国では山は神様になり得たからです。実は今でもと有明山を見上げて思います。 (お)
ある別荘が役目を終えます。
私の好きな別荘の一つでした。
塔を思わせる外観の中は階段で、登りきった三階は一坪くらいのスペースに天体望遠鏡が置かれていました。家主はこの穂高へ通い、望遠鏡で遥か彼方の星々を眺めていたのでしょう。中房川より取水された油(あぶら)川が境界を流れていて、小さくも清らかな沢の音に、心地よく包まれています。
別荘に限らず古い建物というのはそこに暮らしてきた人の思い出が凝縮されています。
具体的な個々のエピソードはその人にしかわからない事ですが、建物の経年による様相や雰囲気は赤の他人の私をも充分刺激し、”私”は想像力をもって自身の思い出に置き換えることができます。
人の目に触れることがなければ思い出は取り残されてしまいます。
そして別荘は仕舞うことになるのでしょう。
それも仕方がないこと。
建物も生き物の様です。特に使われなくなった家はどんどん劣化していきますね。
でも生き物であるとするならば当然終わりがあっていい。
世代交代は生き物の摂理です。建物の場合、相続によらず第三者によって執り行われてもいい。取り壊されて新たに構築されてもいい。それら全てを指して「再生」と言い括れないでしょうか。
さあ、この地に別荘を建てましょう。そして思い出をたくさん作りましょう。
ここは様々な人々の、様々な記憶の混在する集合体。
万感の思いを糧に新しく建ち上がれ。 (お)
大袈裟なタイトルを付けましたが、ニホンカモシカです。冬毛がふっくらして暖かそうです。
忍ケ丘学者村の沢筋を深く入った所で出会いました。じつはこのカモシカ、特別天然記念物として保護されているせいか、この辺ではサルの次によく見る野生動物となっています。シカと言いながらウシの仲間であることはよく知られています。だからでしょうか?臆病で人の姿を見るや俊敏に逃げ去るシカに比べ、実に堂々としています。保護されて久しいのもその要因かもしれませんが人を怖がる素振りは見せません。
この時も、ふと顔を上げるとそこに、泰然として、既にこちらを静かに見下ろしていました。身じろぎせずこちらをじっと見つめています。しかもいつまでもそうしています。
その表情は恐れおののいている風でもなく、威嚇しているようでもなく、不思議なものを覗き込んでいるようで、神々しくも愛嬌があるのです。なんとも神秘的な出会いに思えたのです。
おかげで写真がたくさん撮れました。どのくらい経ったでしょうか、さすがにカモシカも飽きたのでしょう。それともいつもの巡回中に遭遇した人間がなかなか退かないので諦めたのでしょうか。ここは彼の縄張りなのでしょう。辺りを見回すようにゆっくりと背中を見せて谷を登って行きました。さようなら。またどこかで。
これはカモシカの角です。(たぶん) シカと違って雌にも生えて、シカのように毎年生えかわったりしません。
写真のものは私物で、ずいぶん昔に木曽の国道19号の歩道で拾ったものですが、そんな所に落ちていた謎は置いといて、捨てずに取っておいて良かったと思います。
だって今頃になって出番が巡って来たのですから。
そうですね、これも「邂逅」といえるのではないでしょうか。 (お)
倒木がありました。枯れていたアカマツです。
松くい虫の被害木です。不運にも隣りの住宅に直撃してしまいました。
瓦が破損しました。瓦の下の野地板は大丈夫でしたが、時には倒木の枝が屋根を突き破る場合もあります。
直接の原因は突風によるものですが、木を支える根と地際の部分が腐り脆くなっていたのです。
以下は経験知からの考察ですが。
木材の辺材は心材に比べて組織が柔らかく シロアリが食べたり、キクイムシが穴を開け、カミキリムシの幼虫が穿孔したりします。当然ながら木は幹周りから侵されていきます。
湿っぽい地面近くでは腐朽が進み、そこにクロアリなどが営巣すると、木質はスカスカになり、ついに限界点に達し、倒れます。(上の写真の小さな穴はアリの蟻道と思われる)
引き金になるのは今回のように風の圧力であったり、雨の加重であったりします
ただし、実は枯れてから倒れるまでの猶予は思った以上にあるのです。
もちろん個体による差異はあり、土壌、気候その他の条件によっても大きく変わってくることも否めません。地域差は必ずあるでしょう。一律で測られるものではありませんが、
ここ学者村近辺で観察していると枯れてから3年から4年くらいまでは平然と立っていることがよくあります。
「マツノザイセンチュウ」の爆発的増殖によって水分が供給されずに蒸散だけが進むのでしょうか。アカマツは枯れ始めて6週間ほどで一気に枯れ上がるといわれます。「腐る間も無く乾く」ということでしょうか。
とはいえ、カラカラに乾いたアカマツは軽くなった分、根が地面をしっかり掴んでいる限りむしろ倒れ難くなります。
柔軟性のある生木が風にあおられ大きく揺れるのに対し、乾いて硬くなった枯れ木は微動だにしません。春先に水を含んだ雪が積もる時はその重みと自重で大きくたわんだアカマツは耐えかねて幹の途中から折れます。しかし枯れ木にはそのようなことがありません。生木のしなりが仇となる場合もあるのです。
“今年枯れたから直ぐに伐らなければ危険というわけではない”
枯れ木の優位性は先述したようにタイムリミットがある上での話となります。
しかし、しかしです。松くい虫の被害木であれば被害拡大防止の観点から猶予を与えるわけにはいきません。
残念ながらアカマツの枯死の原因のほとんどが松くい虫によるものです。
さらに残念なことは今回倒れたアカマツも伐採されずに見落とされていたもの、、、
おそらく3〜4年前から、ということになります。 (お)
*学者村では「マツ枯れ」の発見に日々努めています。村内外で見つけた枯れ木は速やかに安曇野市耕地林務課に報告し、対応を求めています。また、宅地分(建物のある敷地内)については補助金制度の説明と伐採のお奨めをしています。
普段はチェーンソーを使って木を伐ることもあるので、ゴクゴクたまに分解して修理するコトもあるのです。
ただし、キカイにそれほど詳しいわけでなく、もっぱら興味本位でバラしてます。
原因を突き止めて直せればドヤ顔ですが、直らなくとも良しとし、それより元に戻せるかどうかにドキドキしながら取り掛かるのが好きなのです。
今回は友人から「部品取りに使って下さい」と預かったものですが機種が違うので使えず、相当使い込まれてくたびれていて、案の定エンジンはかからない。だけれども完全にイカレているふうでもなく、なんとかなりそうなビミョーな感じ。そうなるとバラしたい触手がウズウズ動き出し、気がつけばご覧の通り、無残な姿は預かった当日のコトなり。
苦労したのはクラッチの取り外し、ガチガチになっていて、焼いたり叩いたりしたけれどナノメートルだって回らない。仕方がないので専用の工具をネットで注文。送料と代引き手数料で2倍に膨らんでもいとわず。けれど、ものが届くまで作業はオアズケ、気もそぞろ。
さて、2~3日後に届いた工具でクラッチは抵抗虚しく外れ、待たされた感慨などあっけなく、さあ待ってましたと勢いづいて一気に本丸へ。エンジンを取り出しクランクケースを開けピストンをひっぱり出しました。
てっきりヤキツケなど起こしているかと思いきや、意外とキレイ。つまり、城は落としたが城主の姿はすでになし。討ち取り損ねて、、、掃除なんぞはソコソコに、さっそく折り返し、復路の「組み立て」に入ります。
ハハハ。覚えているはずがやっぱり忘れてる。だけれども、しっくりこなけりゃ疑わしい。ピッタリくれば正解で、これはパズルのようなもの。さすがはキカイ。このてのものは合理的に設計されてるモノなんですね。
幸いネジが余ることなく復元完了。見た目は分解前と一緒です。
エンジン始動!願いをこめて! ヴォオーン、バリバリバリ 。かかりましたよ、絶好調です!
なんだかよくわからないけど直ったのです。
やっぱり直すって良いことじゃないですか。いや、直った事実があるだけですが。
世の中アタラシイモノであふれかえっていますけど、それなら政治とやらも替えたらどうか。それとも分解して世治しか?
最近じゃあインストール アップデート色々ありますが、どーもひとつ、便利になるほど中身が見えない。わからない。
新品もいいですが、古いキカイ的なものはバラしてみるのが一番です。バラす? バラす!
そうそう、これを書いてるオジサンもね。 (お)
(松本市 洞)
学者村近辺ではわかりやすい例がなかったので松本市洞地区で引き合いに出しますが、ご了承ください。
夏場の緑の濃淡だけでは山にはどんな樹々が生えているかなんて、さほど気に留めませんが、紅葉のこの時期は山の植生を知る絶好の季節となります。
特に私有林の山肌です。まるで、あぶり出しのごとくパッチワークのようにつぎはぎ模様が現れます。
「民有林」とは、「国有林」に対義する区分で都道府県所有の公有林や法人や個人の私有林がこれに当たります。その面積割合は国3割、公有1割、私有林6割ほど。山奥の国有林に対して私有林は居住地に接する里山を中心とする分布となっています。
上の写真を森林基本図と照らし合わせてみます。
写真では、小山の左にカラマツ林があり、真ん中に広葉樹の混じったヒノキ林、右の尾根筋にアカマツが分布し、その下にコナラの群落が占めています。地図を見るとその通りに境界が一致しています。
森林基本図は通称「林班図」と呼ばれ、樹種ごとに線引きされた 区分を地形図に落とし込んだものです。およそ50ヘクタール(東京ドーム約10個分)を平均として数字を振り分けた大きな林班の中を「い、ろ、は、に、、」で小林班に分け、さらに数字で細かく区切っています。
本来ならどこに何が生えているか、自然林の植生や人工林の樹種を把握するためのものですが。
民有林の、特に面積の小さな個人所有の私有林において、
林班図は山林の所有境界を示すものにもなっています。面積が小さくても個人がそれぞれ違うものを植えたり、植えなかったりするものだから、上記の例のような自然の姿ではあり得ない山の模様になるのです。
その昔、燃料や飼料採取などの入り会い地だった山が、その役目を終えて住民たちに均等に分けられた事や、畑や田んぼだった山中の土地が放置されて森林化したり、させたりした結果でしょう。まだ材木が売れた頃には皆競って木を植えました。史跡である山城にも土地が個人所有であれば木が植えられました。人しか通れない山道の奥に、材木の搬出を考えないまま今、木が大きく育っています。
(松本市 稲倉)
それは自然に対し人間が過剰に介在した結果とも言えます。人間の勝手な
注釈を加えるだけではなく、禍根を残すことにもなりました。
とはいえ、里山の再生は地域に住む私たちのみならず地続きでつながっている多くの人々の希望でもあるのです。
人間主体の里地里山論ですがそこまで戻らないと忘れてしまったものを思い出せないからです。
ぜひ、山割りを見るたびに環境を考え直してほしいものです。
分断をもたらす所有の意識を離れて、山は人々の共有の財産であることを。 (お)